2015年4月29日水曜日

江南市の曼陀羅寺の藤

曼陀羅寺の藤を、昨年2014年、生まれて初めて見に来た日は5月2日。少し遅かった。今日2015年5月29日は、満開で最適な日に2日ほど早いかと思う感じだった。でも、誰もが満足する咲き加減でした。
曼陀羅寺の藤をはじめてみると「藤ってこんなに見事なんだ」と感動の言葉が口をついて出る。花の種類もいろいろで、藤色、ピンク、白、ぶどうの房のように見える八重咲きなど、心から堪能できる。

曼陀羅寺の周りには、臨時の駐車場がたくさん出来る。「江南市観光協会指定 曼陀羅寺周辺駐車場組合」加盟の駐車場が安心です。昨年は、初めてのことで、訳がわからず駐車場が簡単に見つからず3時間1000円で駐車することになった(非加盟)。加盟はどこも3時間500円だと思う。

駐車場が見つかりやすいのは、曼陀羅寺の南東道路(唐門のある正面側)と南西道路です。東北道路は満車ばかりです。昨年は、この東北道路周辺で駐車して1000円取られた。(取る方も取られる方もセコイかな?)

曼陀羅寺は毎年、4月29日から5月5日まで、宝物を公開している。昨年は気づかなかったけど、今年は見せてもらった。後醍醐天皇が命じて1329年に完成した由緒ある寺です。塔頭も楽しめると思います。抹茶が飲めるところもあります。写真一番下の黄色いツツジは慈光院の庭に咲いていたものです。(曼陀羅寺は、ここでは曼荼羅寺ではありません)

続報: 妻が見に行きたいと言うので、5月2日に再訪した。時間は午後3時半。29日、30日、1日、2日と全て天気が良く、暑いくらいの日が続いたので、藤はもう咲き終わりそうだった。一番株数が多い、6尺、9尺の藤色の藤は、咲き終わりに近かった。 ピンクは一本だけなんとかきれいに咲いていた。白は、見ごろが一番遅いようで、4月29日は早すぎで、5月2日が満開だった。いつが一番いいか、皆はTwitterで情報交換しているのだろうか。













2015年4月24日金曜日

長野県下伊那郡阿智村智里の花桃(ハナモモ)

4月12日に揖斐川町のハナモモを見てから、ハナモモが気になっていた。長野県下伊那郡阿智村知里でハナモモが見られるらしいので、出かけた。阿智村では、漢字で「花桃」かひらがなで「はなもも」としてる。


阿智村知里は面積がかなり広そうだ。その智里のなかに三ケ所、心がわくわくする花桃の観賞場所がある。東から、昼神温泉、園原ICバス停(農業組合法人東山道運営の食事とみやげ物屋がある)、月川(げっせん)。

花の咲く時期が少しずれている。昼神温泉と園原ICバス停は4月中旬から下旬。月川は4月下旬から5月上旬で、5月の連休がちょうど見ごろらしく、4月24日は早すぎた。





今日の道程は、名古屋方面から中央高速で来て、飯田山本インターで降りた。上記3ケ所だけ見るなら園原インターで降りるのがベスト。飯田山本インターで降りると、園原インターまで国道153号線と256号線を運転して引き返すことと同じになる。ただ、途中花桃を観賞できる。今日は、国道から見下ろしただけだったが、途中で昼神温泉の花桃も見られる。(長野方面からは、園原インナーは利用できないので、飯田山本インターで降りることになる)

園原ICバス停の花桃は素晴らしかった。花桃の艶やかさを堪能した。惜しむらくは、月川の花桃が満開には早すぎたことだ。月川の花桃を見るときは、月川のある高台の方へも見に行くことをお勧めします。(温泉旅館の名称に関して: 花桃の里 月川温泉郷 野熊の庄 月川)

月川温泉郷付近に最初の花桃を植えた人は、月川社長の渋谷秀逸さん。「山の中の過疎地に住む子供たち、孫たちにここに住み続けて欲しい」「地元の人たちに寂しい思いをさせたくない」「元気な地域づくりをしたい」という想いから、月川をオープンするとき自ら25本の花桃を植えたそうです。今では3500本。すばらしい桃源郷が出来上がったわけです。



ナビで正確に目的地へ行くための住所を記しておきます。(住所でうまく表示しない場合は、緯度経度をご利用ください)
園原ICバス停: 長野県下伊那郡阿智村智里499-4  緯度経度35.4586787,137.6771052
月川: 長野県下伊那郡阿智村智里4092-7 緯度経度35.4450622,137.6623531
昼神温泉: 有名だから不要ですね

参考になるホームページ
昼神温泉観光局 http://hirugamionsen.jp/about/hanamomo.html
月川温泉郷付近 花桃開花情報
阿智村商工会  http://achimura.com/information_public/hanamomo_2013.html

閑話休題: 智里とは穏やかならぬ地名を付けたものだ。智恵の里。むーー。愛知県は、知を愛する県。愛媛県はひめを愛する県。

閑話休題2:名古屋方面から来るとき、途中、中津川インターを出てすぐのところにある、「ちこり村」のビュッフェスタイルランチはお勧めです。ディナーはない。中学生以上1580円、小学生900円、幼児500円。11:00から14:00。サラダコスモスが生産する地元野菜中心のメニュー。大変おいしい。日本全国どこにも無いここだけのお土産もいっぱい。働いている人は、地元のご老人など。ちこり村は驚きに満ちている。私の文章は驚きに満ちていないのが残念だ。


2015年4月12日日曜日

根尾谷の薄墨桜と揖斐川町のハナモモ

4月6日から10日まで、天気はよくなかったが、4月11日土曜日は、晴れで気温も適当で風も特になし。岐阜県本巣市根尾板所の薄墨桜を見に出かけた。(夜間照明もあるので、午後に出かけて夜桜も見るのもいいでしょう)(この土日が見納めかな)

継体天皇が皇位を継承するため、京都に迎えられた1500年前に、形見として植えた桜だというのだから、言葉がない。その時の歌一首が残されている。
身の代と 残す桜は 薄住よ 千代に其の名を 栄盛へ止むる
みのしろと のこすさくらは うすずみよ ちよにそのなを さかへとどむる


ただ、継体天皇のお手植え説は、愛知県一宮市の真清田神社ゆかりの土川家で発見された古文書『真清探當證 = 真清探当証』の記述による伝承。原本はなく、極新しい写本が根尾村に残っているのみだとのこと (この記述は一旦ずします。再確認します。)。amazonで「継体天皇とうすずみ桜―古代秘史『真清探当証』の謎 (伝承が語る古代史)」と言う書物が入手できる。
記紀では、継体天皇が天皇に即位する前まで生活していた場所は、越前(近江かもとも)の坂井市とされている。越前と根尾谷は白山を挟んで北と南である。継体天皇説がどうであろうと、桜として最古の一本であることに変わりはない。

愛県一宮市の「真清田神社」が、昔々、神社の縁起に箔を付けるためとか面白みを増すためとかに、このような物語を創作したものと考えても、それほど無理は無い。

それはそれとして、1500年も後の日本人が大挙して其の姿を愛でに来ているのは、一首と呼応していて面白い。(一枚目の薄墨桜は古いデジカメで撮影。2枚目はiPhoneで撮影後、色を強調した)。車で行くと、駐車場の前で4Kmくらい渋滞に巻き込まれる。およそ1時間余分に掛かる。

薄墨桜は、「エドヒガン」桜。寿命が長いのが特徴の一つ。桜は600種以上あるが、大きな分類としては、ヤマザクラ群、エドヒガン群、マメザクラ群、チョウジザクラ群、ヒカンザクラ群、ミヤマザクラ群、シナミザクラ群、サトザクラ群(サトザクラ類)がある。
ソメイヨシノ」はエドヒガン系とヤマザクラ系のオオシマザクラの交配。テング巣病に弱く、現在植樹される桜はジンダイアケボノになってきている。花と開花期が良く似ている。
オオシマザクラは、多くの園芸品種を生み出したサクラだ。また、桜餅に使われる桜の葉は通常、オオシマザクラの若葉を塩漬けにした物。ソメイヨシノではありません。あの独特の香りはクマリンと言う成分が元になっている。

 
 薄墨桜を楽しんだあとは、揖斐川町のハナモモを見に行った。桂川の両岸4Kmに亘り2300本のハナモモが植えられているそうだ。深紅、ピンク、ホワイト、三色混ざった花が観賞できる。できうれば、もう少し手入れをして樹木の健康を高めて欲しい。また、このハナモモ並木を揖斐川町のホームページで紹介していないのは解せない。しかもハナモモの場所がどこか良くわからない。途中で、子供連れの奥さんに場所を聞いた。ハナモモは揖斐川町の町の花。

下の地図のCマーカーは桂川の「ほたるはし」の位置。 住所と緯度経度は、岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方285(35.491218,136.561419)。このほたるはしの上流下流辺りで花見を楽しむのが一番いい。駐車場は特になさそうなので、川の近くの適当な場所に私は駐車した。この地図は、Google Static Maps API V2を使って表示したものです。

ここから南東にある揖斐川町役場で、剪定したハナモモの枝を無料でもらえる。挿し木して増やせそうだ。ハナモモは、桃の花を愛でる為に育てたもの。中国原産だが、現在のハナモモは日本で品種改良されたもの。桂川には18種あるそうだ。(ハナモモは開花期が長くて、4月いっぱいは花見が出来るそうだ)









2015年3月21日土曜日

藤あや子の「曼珠沙華」ならもう一度聞きたい

3月21日、藤あや子と伍代夏子の歌謡ショーに行ってきた。例によって妻に引かれて、という次第である。妻の友人の都合が悪くなり、急遽代役で聞いてきた。


座席が2列目の真ん中と大変いい場所だった。藤と伍代の2人が舞台に出てきたときは、ハッと息を呑んだ。美しすぎる。色っぽく艶めいていた。2列目の座席からは、舞台の2人の表情がハッキリ見える。実物はテレビで見るよりずっときれいだった。昔、初めて妻に会ったときのように、心がときめいてしまった。(妻には内緒)

藤あや子が歌った「曼珠沙華」が素晴らしかった(他のほとんども大変よかったけど)。曼珠沙華の白い模様の入った赤い和服を着て、照明も赤系統で情熱真っ赤っか。あれ程情熱的に熱唱して大丈夫なのかと心配したくなるほど全精力を歌に注ぎ込んで歌っていた。

Youtube上の曼珠沙華。着物は同じもの。歌は、実物の舞台が圧倒的に素晴らしい。

歌「曼珠沙華」は、最初、山口百恵の『二十才の記念碑 曼珠沙華』として1978年12月に発売された16枚目のアルバムに収録された。作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童。同じアルバムには大ヒット曲になった「いい日旅立ち」(作詞・作曲: 谷村新司)が入っていた。藤あや子は、2003年9月にこの曲をカバーした。(2人ともCBSソニー)

歌手「藤あや子」の成功へのマイルストーンは、作詞:三浦康照、作曲:山口ひろしの「こころ酒」。藤あや子も伍代夏子も1961年生まれ。

曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ。サンスクリット語 manjusakaの音写)は、仏教で、天界に咲く純白の花で、見る者の悪業を払うといわれている。

日本語での花としての正式名称は、ヒガンバナ(彼岸花、学名:Lycoris radiata)。ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。花も葉も茎も鱗茎も有毒である。特に鱗茎には、アルカロイド(リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリン等)を多く含む有毒植物である。

日本では昔から畦や墓場(特に土葬の場所)に植えられてきた。鱗茎の毒を嫌ってミミズが近づかないので、それをえさにするモグラやネズミに荒らされないようになる。もう一つ、ヒガンバナは、有毒なので農産物ではなく年貢の対象外とされたため、飢饉のときの救済作物として田畑や墓の草取りのついでに栽培されたとも言われてもいる。

ヒガンバナの大群生地としては、埼玉県日高市の巾着田が500万本で第一位。愛知県半田市の矢勝川が100万本とも200万本とも言われている。岐阜県海津市南濃町の木曽川水系津屋川が10万本。一度、巾着田のヒガンバナを見たいものだ。


ヒガンバナWikipedia
埼玉県日高市の巾着田 Google地図


2015年3月15日日曜日

梅林公園近く瑞龍寺での弥生のお茶会へ行ってきました

裏千家で茶道を再開した妻に誘われてお茶会と梅の花見に行ってきた。茶会は龍瑞寺及び塔頭2ケ所で、裏千家、表千家、江戸表千家の三茶道家が行った。お茶をもっと広める為とのことだが、仲間内での茶会にしか見えなく、一般の目にはほとんど触れないので、広めるという意図はほとんど意味を成していないように思った。

 
 瑞龍寺は由緒ある寺で、初めて訪問したが、立派な寺です。岐阜市内では一番立派なお寺ではないでしょうか。それにもかかわらず、Googleマップに瑞龍寺の名前がありません。一番重要な名称のはずなのに表示されていない(下、一番山側の大きい寺が瑞龍寺)。

ただ、地図上で瑞龍寺の場所をクリックすると瑞龍寺と枠内に表示が出る。(下)

 梅林公園の梅の木はかなり弱っていて、このままでは、魅力ない梅林にならないか心配だ。もっと心配なことは、梅祭りの関係がそのことを全然意に介していないことだ。下の写真は瑞龍寺の梅。太平洋戦争で寺は全焼したが、この梅の木は残った根から芽が出て今の姿まで復活した。

土岐成頼(しげより)、斎藤妙椿(みょうちん)の墓へ向かう妻。(下)

2015年2月22日日曜日

日本演歌の夢祭り2015名古屋公演へ行ってきた

妻の誘いで、「第14回日本演歌の夢祭り2015名古屋公演」へ行ってきた。S席10800円は妻もち。
 

16:30から19:10まで2時間半以上たっぷりの演歌三昧だった。出演者12人と一組。歌また歌で、妻は大満足だったそうだ。また、曲も定番どころのものが主体で、最高のコンサートだったそうだ。

コンサートで私が嫌いなのは、スピーカーの音量が異常なほど大きいことだ。スピーカーの音が割れてしまうほど大きくしなくてもいいと思うのだが、すべてのコンサートのプロデューサーはそう思わないらしい。屋外ならまだしも、屋内でこれほどの音量は不要だと思う。だから、コンサートは好きではない。

今回のコンサート場所は、日本ガイシホール(名古屋市総合体育館レインボーホールの名称を日本ガイシに買ってもらったもの)。スポーツの屋内競技場である。場所は、名古屋市南区東又兵ヱ町5丁目1番地の16、JR笠寺駅から徒歩3分。メインアリーナホールは、観客席最大10,000席。内訳は、競技場を取り囲む2階固定席が5,000席。1階可動席2,000席、移動席(普通のいすを並べるだけ)3,000席。

土曜日のコンサートの観客数は、移動席2000人、可動席500人、固定席3000人、合計5500人といったところだろうか。観客の大部分は、シニア、ご老人。

名古屋公演の出演者紹介:
北島三郎、79歳、北海道出身。
鳥羽一郎、63歳、三重県出身。
天童よしみ、61歳、大阪府出身。
香西かおり、52歳、大阪府出身。
長山洋子、47歳、東京都出身。
島津亜矢、44歳、熊本県出身。
大石まどか、43歳、北海道出身。
夏川りみ、42歳、沖縄県出身。
福田こうへい、39歳、岩手県出身。
大江裕、26歳、大阪府出身。
杜このみ、26歳、北海道出身。
ミヤギマモル、40歳前後?、沖縄県出身。
純烈、子供向け戦隊番組の出演者が6人で結成。
司会は、宮本隆治、65歳、福岡県出身。


今年は、このあと、大阪、福岡、仙台、埼玉でコンサートをするそうです。出演者は、コンサート会場ごとに少しづつ変わるようです。
日本演歌の夢祭り2015


2014年11月29日土曜日

紅葉、箱根、富士山、富士五湖、忍野八海

11月28日(金)と29日(土)の2日間で、富士山と箱根の紅葉を見に行ってきた。行くと主張したのは妻だ。11月下旬では遅かろうと言ったのだが、さる人に聞くと11月下旬がいいと言われたとのこと。ホテルが予約済みなので、ともかく出かけた。実際に1,2週間前の14,15か21,22日だったら紅葉は最盛期だっただろうと思われる旅行だった。
10日程前くらいの週刊天気予報では、週末はまずまずの天気のはずだったが、火曜日ころからは、週末は天気が悪いと変わってきて少々残念な気分になって出かけた。


http://www.fujiyama-navi.jp/fujisan/heritage/
世界文化遺産としてふさわしい価値を有している富士山の構成資産/構成要素
http://www.fujisan-3776.jp/kouseishisan/index.html
世界遺産登録の正式名称は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」と決まった。


道順と時間経過をまずまとめて記述しよう。

11月28日
6:50家を車で出発。7:23の新幹線で新富士へ向かう。途中浜松で乗換。9:04新富士着。曇り空で、富士山は一日中まったく見えない。駅北口のタイムズレンタカーで9:20に白糸の滝へ向かう。その後、田貫湖、朝霧高原道の駅、本栖湖、西湖蝙蝠穴と青樹ケ原樹海、西湖、個人所有地の紅葉、河口湖、忍野八海、山中湖。ザ・プリンス箱根4:45着。

11月29日
朝から強い雨。今日も富士山はだめ。11:20強羅へ出発。電車に乗るころには小ぶりに。箱根登山電車で、箱根湯元まで往復乗車した。3時ごろ箱根強羅公園を訪問。
4時ごろ新富士駅へ向かって出発。箱根下山中、乙女峠のふじみ茶屋へ来たら雲が晴れて富士山が見えた。見えたどころではなく、全身がくっきり姿を現した。たぶんほんの10分程度。多くの車が停車して写真をとる。再出発して10分くらいのところで、再び富士山が姿を現したので、広めの路肩に止めて再度写真を撮った。
東名を走っている途中で富士山がまた全身を見せたので、駒門PAに入って写真を撮る。ここで、栃木の大学3年生男子2人づれで、名古屋まで行くというヒッチハイカーを乗せた。レンタカーでなく自家用車で来ていたのなら、そのまま名古屋まで送ってあげれたのだが、いかんせん、富士インターで降りて新富士へ行くので、愛鷹PAまでしか送れなかった。駒門PAはトイレがあるだけだけど、愛鷹PAは売店もあるので、名古屋へ行くための車も見つかりやすいと想像できる。
家へは、20時前に着く。妻いわく「昨日家を出て今日帰ってくる一泊二日では旅をした気分がしない」。それは否定できない。

それでは、個別項目のご紹介と行きます。

レンタカーのデミオ1300
タイムズレンタカーで借りた車はマツダのデミオ1300。もとはマツダレンタカー。燃費は思ったほどではなく、220Kmを14リッターなので、15.7Km/L。料金は基本13000円(2日間、同じ店舗へ返す条件)+保険4000円+(-1950円)+消費税 = 16,254円。トヨタレンタカーやジャパンレンタカーはネオンサインがけばけばしくよく目立つが、タイムズレンタカーはTIMESの看板1つで、わかりづらい程に地味だ。もう少し目立つネオン看板が欲しいね。

白糸の滝
駐車場の集金方法が珍しかった。初めての体験だった。道路端の野菜売り場のように、お金は勝手に集金箱へ入れておくだけ。200円。ちなみに、もう一回、忍野八海の駐車場も同じ方法だった。
滝はなかなか見事だと思う。とくに、富士山からの伏流水で出来ていると思うと、尊敬の念が流れ落ちてくる(少々こじつけの言い回し)。


田貫湖
富士の周りの山梨県側に富士五湖がある。静岡県側に田貫湖があるから、富士六湖でもよさそうだけど、山梨県側が入れてあげないのね。と、言うのは間違いで、富士五湖は天然の湖だけど田貫湖は人口の湖なので、仲間に入れてもらえない。
元々は狸沼あるいは田貫沼と呼ばれていた小さな沼だったけど、1923年の関東大震災により、周辺地域に水の供給を賄っていた芝川の水量が減少したため、農業用水を確保する目的で1935年から狸沼に堤防を建設し、沼を人工湖に拡張した。貯水量70万m3。その後も水の需要増加に応じて堤防の拡張工事を行い、東西1km、南北0.5kmの大きさになり、貯水量は120万立米にまで増えた(wikipedia参考)。ちなみに黒部ダムの貯水量は2億立米。
紅葉は全然よくなかったけど、写真スポットとしては一流らしい。
富士山の大沢崩れのほぼ正面方向にあり、富士山の険しい山容を望める適地だとか。4月20日頃と8月20日頃の天気の良い早朝に、湖畔にある休暇村富士の正面からダイヤモンド富士を見ることができ、毎年多くのカメラマンで賑わうそうだ。

本栖湖
雨も降って来たので、写真を2枚撮っただけでお仕舞い。ただ、千円札裏の富士山撮影地があるそうなので、そこは行っておけばよかった(タイムズレンタカーでもらった地図に出ていたのを、今知った)。

精進湖
訪問せず。湖の面積は0.5Km2。西湖2.1Km2、本栖湖4.7Km2、河口湖5.7Km2、山中湖6.8Km2。

西湖蝙蝠穴と青樹ケ原樹海
世界の哺乳類で最も繁栄しているグループは、ネズミ目であり、現生哺乳類全種(4300-4600種)の約半数に当たる2000-3000種を占める。続いて多いのがコウモリ目。4分の1を占める。
ところが、日本では一番多いのがコウモリ目で3分の1。ネズミ目の4分の1をしのいでいる。コウモリ穴の展示資料でそのことを初めて知って、意外な数値に驚いた。
洞窟は結構長いと思うが、金曜日で他の客もおらず、妻が怖がって入り口の大きな部屋のみ見て残りのほとんどを見学せずに出た。
コウモリが生息している部分は、最奥の方だそうで、通常は観光客が遭遇することは無いそうだ。
コウモリ穴までの樹海がなかなか魅力的で、見学のためにつけたヘルメット姿がその中で良く似合っていた。
実は、ここは訪問予定になかったところ。紅葉台という紅葉の綺麗なところがあるとネットに出ていたのだが、行って見ると、住宅街になっていて、紅葉など無し。道路指標にコウモリ穴があったので、訪問した。超地味だけど、面白かった。洞窟なら風穴洞のほうが有名か。

西湖
富士山は見えないし、ただの湖でしかない。でも、湖岸が溶岩になっているのが面白かった。大学の先生が富士山の湧水が西湖にあるはずだと調査して、あることを確認したそうだ。

河口湖の西端辺りの個人所有土地で紅葉見物
これまでのところ、白糸の滝のまあまあの紅葉以外見ていなかったが、車を運転中に見栄えのする紅葉を見つける。たまたま、釣り人用の広い駐車場がありそこへ駐車して見に行くことにする。幸運なことに、土地の所有者に出会って、畦道を通って写真を撮影してもいいと言ってもらえた。ありがとう、おじさん。




河口湖と富士五湖と言う名称の由来
ぜんぜん見るもの無し。と言うことで、富士五湖の名前の由来など。東京と大阪の新聞社が、鉄道省後援で1927年に「日本新八景」選定のため国民の葉書投票を企画した。部門は湖沼、河川、温泉、山岳等八部門だった。富士山北麓の各湖はそれぞれの名前で湖沼の部に投票をはじめたが、五湖バラバラでは得票が伸びなかった。
『富士山麓史』によると「この時、実業家で政治家の堀内良平が『富士五湖』として一つの景観として名乗ることを思いつく。良平は新聞社に行き『富士五湖』の新名称で投票することの了解を取るとともに、自社の株主に一株一枚の投票を呼びかけた。締め切りまでに富士五湖に寄せられた票は360万票で、湖沼の部日本一となった」。審査の結果『富士五湖』は「日本二十五景勝」に選定された。ここに『富士五湖』の名称が誕生した。

忍野八海
忍野八海で一番人気の池はどれでしょう?出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池??八つの池のどれでもありません。ふざけているわけではありません。これら八つの自然の池に加えて、名無し池と言う人工の池が作られていて、それが一番人気のように見えます。池が大きく深く水も澄んで綺麗で、その上、池の真ん中には8メートルの深さのある丸い内池が作ってあり、その周りを巡れるようにしてあり、湧水飲み場も作ってある。内池の深くて澄んだ湧水は見ていて清々しく心が清められる感じだ。飛び込んだら気持ちいいだろうな。
と、ここで提案です。川のようなものを作り、足湯ならぬ足湧水でもつくったら、夏場には気持ちいいとおもうのだけどどうだろう。
ところで、勉強不足だったのだが、忍野八海は江戸時代から富士講の修験者の重要な修行地だったそうだ。もともと湧水池はもっとたくさんあったのだが、日本人と仏教は八の数字が好きなので修行のための池は八つに決めた。そして、忍野八海には修験者のための宿坊がたくさん出来た。それらは明治維新の廃仏毀釈で姿を消すことになるが、その内の一つが昔の姿をとどめている。訪れると気づくが、御大尽の家がいくつもある。富士講が隆盛だった証なのだろう。
3つの写真の一番下は、屋根をススキで葺いているところです。山梨県では今ここで作業している方達が唯一の職人だそうです。ススキは主に、自衛隊の演習場で収穫するそうです。




山中湖
山中湖へ着いたときは雨になっていた。山中湖の西端から東を見ると対岸は見えない。雨に煙っているとはいえ、山中湖は大きい。山中湖への途中にファナックの工場群がある、いまでも建設工事をしていた。ファナック通りまであった。ファナックなら当分優良企業だろうから、いい企業に来てもらったな。

山中湖の後は、秩父の宮公園へ寄って紅葉を見てからホテルへ行く予定だったけど、時間が遅くなっていたので、そこはパスしてホテルへ直行した。

ザ・プリンス箱根
部屋は4月の時の隣の部屋。風呂は露天風呂のある大浴場へいった。ここで愛知県から来ていたアダチさんに出会った。アダチさんに出会ったことが、今回の旅行の幸運であった。紅葉を見るのが目的なのに、富士五湖ではいまいちであり、残念に思っていたところだった。湯船の中でアダチさんが箱根登山鉄道の紅葉が綺麗だと教えてくれた。はずかしながら、登山鉄道の紅葉が綺麗だとはついぞ知らなかった。愛知県に香嵐渓という紅葉の名所があるけどそれより美しいかもとの事だった。それなら、翌日は箱根登山鉄道に乗るのは必然である。
さらに朝、朝食バイキングに行くときに、別の夫婦に箱根登山鉄道に乗ったことがあるか尋ねたら、その鉄道で登ってきたとの事。そこでこれまたすばらしい情報をもらった。登ってくる電車で右側の席がいいとのこと。
ホテルで土曜日に結婚式があった。普段はホテルの部屋とロビーを結ぶ通路になっているところに椅子を並べ祭壇を作って執り行うようだ。ちょっとしゃれた趣向だ。




紅葉にいい座席は右か左か
私たちは強羅から箱根湯元まで往復乗車した。それ以外の区間のことはわかりません。強羅から箱根湯元までは40分くらい。駅は、強羅、彫刻の森、小涌谷、宮ノ下、大平台、塔ノ沢、箱根湯本。途中3回スイッチバックあり。大平台で一回、その前後で一回づつ。


さて、美しい紅葉を見るには、電車の右側に座るのが正しいのか左側に座るのが正しいのか。正解は、まづ、谷川を見る側の窓辺に座ることと覚えるといい。地図を見るとわかるが、強羅も箱根湯元も出発時に左側の窓辺に座るといい。そう、あの夫婦は左右を間違えていた。と言うか、「私たちは残念ながら反対側に座ってしまった」と言われたのだった。箱根登山鉄道に提案がある。冬に窓に露が付くの防ぐシートがあるが、電車の窓に張ったら同だろう。雨の日や冬景色が綺麗に見えるようになるのではないか。手間がかかりすぎるならダメだが、そうでなかったら考えてみて欲しい。



2014年11月29日土曜日は、午前中雨であった。雨であると、まずいことは、電車の窓が曇ってしまうことだ。私たちは、ハンカチで窓を拭き拭き、窓外の紅葉をなんとか楽しんだ。でも楽しんだでは不足なくらいに、雨模様の天気の中でも紅葉は美しかった。赤と黄色と黄緑のカエデの紅葉が写真以上に美しかった。雨の日でもそれほどなのだから、木曜日に快晴で雲ひとつ無く富士山もクッキリの中での紅葉は言葉も無いほどに素晴らしかったことあろう。天気のいい日がほとんど無かった今年の11月に、快晴の下で紅葉を目にしたアダチさんは幸運な方だったな。

箱根強羅公園
電車で往復した後、箱根強羅公園を散策した。雨は、ほぼやんでいた。箱根登山鉄道に乗るために車は、公園の近くのパーキングへ停めていた。この公園の周りに3ケ所、50台ほどの駐車場がある。強羅駅からは山側へ急な坂を登っていく。
強羅公園は巨大な岩がごろごろしている。紅葉以外にバラや藤もある。

電車の紅葉と138号線の紅葉
御殿場方面から芦ノ湖畔のホテルへ向かったときは、ホテルまであまりいい紅葉は見なかった。だから、ザ・プリンス箱根へ着いて、翌日、箱根登山電車に乗るまでは、箱根の紅葉はろくでもないものだと思っていたが、先にも書いたように、電車に乗って、箱根の紅葉の素晴らしさに圧倒された。

ホテルへ向かったときは、138号線から途中仙石原で箱根湿生花園の方向を通った。この道は紅葉がほとんど無い。
しかし強羅からの帰り道の138号線は紅葉が大変きれいであった。「ああ、これが箱根の紅葉か」と心から箱根の紅葉を賞賛した。

私の見た範囲内ではあるが、箱根の紅葉は、強羅から箱根湯元の箱根登山鉄道。強羅から仙石原の間の138号線。この2ケ所は、屈指の紅葉の名所です。
時期は、2014年なら、11月15日から30日。たぶん11月22日が絶頂期か。あとは、天気のよい日にめぐり合うこと。

私は岐阜からだけど、東京方面の方なら、小田急で日帰りが出来るのだから、天気のいい日を見計らって紅葉見物に出かけるのがいいでしょう。

帰り道の富士山
28日も29日も富士山はまったく見えなかった。残念至極の思いでいた。でも、箱根登山鉄道で見事な紅葉を堪能したので、満足して箱根を下っていた。乙女峠下のふじみ茶屋の上方の左折カーブを曲がったとたんに右手に驚きの光景が出現した。富士山が全貌を現していた。反対側の車線には車がずらっと停車していた。私は、とっさに左手のふじみ茶屋の駐車場へ入った。すぐに妻を降ろして写真撮影に向かわせた。私は、急いで茶屋の団子を買いに走った。お店の駐車場に車だけ停めるのは大人の行為とは言えないですから。おいしい団子でした。みなさんも富士見がてらに食べてください。損は無いですよ。
全身を現した富士は10分程度でまた雲に隠れてしまいましたが、本当に見事に全身を露にしていた。次々と車が止まった。




富士山が雲に隠れたので、私達はあの団子を車中で食べて、下山を再開した。その後10分もしないうちに再び富士山が左手に見えた。幸い、道幅が少し広く見通しもいい場所だったので駐車灯を点滅させて、妻が写真を5枚ほど撮影した。安全のため、それ以上の駐車は遠慮して帰路に着いた。

駒門PAから見る富士山
東名を運転している途中、駒門PAの手前辺りから天気が良くなってきた。右手には富士山が再び全身を現していた。急ぎ駒門PAへ入った。駒門PAは店舗は無くトイレがあるのみ。今回は、そんなことはどうでもいい。停車する意味は唯一つ、富士山を見て撮影すること。たっぷりゆっくり写真撮影ができた。
雨の中だったけど箱根登山鉄道で紅葉を満喫し、帰り道ではあるが富士山を十分堪能することが出来た。今回の旅行は、なんとか、丸だった。




駒門PAで出会った大学生
写真を撮影して車に戻ると、男2人連れが画用紙のようなものに文字を書いたものを掲げて近づいて来た。「名古屋まで乗せてください」だったと思う。栃木県の大学三年生でサッカーをやっているとの事。他の車の多くは、次の沼津の駅で東名を出てしまうとのことで、写真撮影を終えた我々に頼んできた。生憎我々も今回は新幹線新富士駅で返すレンタカーだったので名古屋まで行く事はできない。富士ICまでなので、愛鷹PAまでしか送れない。そうではあるが、店も無いトイレだけの駒門PAよりはましに違いなかろうと、乗せてあげることにした。幸い予想通りに愛鷹PAは売店もある、車の駐車台数も多い。無事に名古屋まで行けることを祈って分かれた。

あとは、時々右手に真っ白な富士の高嶺を見ながら新幹線新富士駅のタイムズレンタカーへ向かった。タイムズレンタカーの店舗はネオン看板がほとんど無く、わかりずらい。車を返して、新幹線で一路岐阜へ。